奥原希望(バドミントン)経歴や家族!試合前の言葉(ルーティン)が話題!

バドミントン日本代表・奥原希望(おくはら のぞみ)選手!
シングルス女子・日本のエース選手で、
リオデジャネイロ五輪の銅メダリストです!

 

奥原希望選手の出身中学や高校などWiki風プロフィール、
学歴&経歴まとめ、プレースタイルや強さのヒミツ、
使用ラケット、愛用ネックレスなど色々とまとめてみました!

 

実家のご家族(父母・兄姉・祖父)や、
話題の試合前の祈りの言葉(ルーティン)
についても調べてみました!

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奥原希望さんのWiki風プロフィール!学歴&経歴まとめ!

奥原希望
出典:https://www.unisys.co.jp/badminton/w/team/okuhara.html

 

名前:奥原希望(おくはら のぞみ)
生年月日:1995年3月13日
年齢:21歳(※2016年現在)
出身:長野県大町市
身長:156.3cm
体重:不明
血液型:O型
利き腕:右
所属:日本ユニシス

 

バドミントン日本代表・奥原希望(おくはら のぞみ)選手!

 

日本のエースで、
世界ランキング(シングルス)は、第6位!
(※2016年現在)

 

 

高校のバドミントン部顧問だった父親の影響
7歳の時に、バドミントンを始めました。

 

父の指導のもと、猛練習を積み重ねた、
奥原希望選手!

 

半年後の小学校2年になると、
全国大会に出場するほど上達したといいます。

 

1日4~6時間、2000球もの特訓をこなすうちに、
次第に、試合に勝ち抜く技術を身につけていきました。

 

 

子供の頃から、ものスゴイ努力家で、

「練習のし過ぎで気がついたら足の皮がむけてたことが何回もあった。
ひどい時は足の裏の半分まで皮がめくれ上がり、真っ赤に変色した。」

というほど、練習熱心だったといいます。

 

 

小学校6年生の時には、
ANAアジアユースジャパン(U13)で優勝!

 

全国小学生バドミントン選手権大会では、
女子シングルスベスト8の成績を収めました。

 

 

中学校は、地元・長野県大町市にある
「大町市立仁科台中学校」に進学。

 

中学に入る頃には、父の指導力を超えるほどの実力となり、
中学3年の秋までは、元五輪代表の韓国人コーチに指導を受けていました。

 

中学2年生の時には、
全日本ジュニア選手権大会(新人の部)で優勝!

 

 

高校は、元世界王者の中国人コーチがいる、
埼玉県の「大宮東高等学校」へ進学。

 

高校時代も、自分自身に厳しい
トレーニングを課していた奥原希望選手!

 

夜遅くなっても練習をやめない奥原希望選手を止める為、
当時の監督が体育館の照明を強制的に消すほどでした。

 

そして、高校2年の時には、
全日本総合選手権史上最年少16歳8カ月で制覇!

 

翌年2012年、世界ジュニア選手権の男女シングルスでは、
日本勢初優勝を果たしました!

 

 

高校卒業後は、2013年4月に
「日本ユニシス」へ入社。

 

 

しかし、猛練習の代償でしょうか、
フットワークで負担がかかる膝の故障
奥原希望選手を襲います。

 

両膝のケガと闘う日々。

 

2013年4月、左膝半月板手術
2014年5月、右膝半月板手術

 

手術をしたものの、治る保証はなく、
競技を続けられないことも覚悟したといいます。

 

もどかしさと闘いながら、
リハビリを続けました。

 

リハビリの過程では、トレーニングを見直し、

「筋肉を太くするのではなく、筋肉と筋肉のつながりを高める。
地面を力強く蹴るのではなく、重心移動だけで滑らかにスッと動く。」

など、新たな取り組みも始めました。

 

 

そして2015年、ついに代表に復帰!

 

2015年9月のヨネックス・オープン・ジャパンでは、
完全復活となる初優勝!

 

2016年3月、全英オープンでは、
日本勢39年ぶりとなるシングルス優勝を果たしました!

 

 

2016年、リオデジャネイロ五輪では、
準々決勝で山口茜選手との日本人対決もありました!(↓)

 

見事に、オリンピックで銅メダル獲得!

 

実は、プライベートでは、
“食べ歩き”が趣味だという、奥原希望選手♪

 

テンションが上がるほど大好きな食べ物は、
『牛タン』なのだそう♪

 

 

東京オリンピックはもちろん、
奥原選手の今後の活躍にますます期待大ですね!

奥原希望選手の試合前の言葉(ルーティン)が話題!

奥原希望選手は試合前、コートに入る時に、
いつも何か祈りのような言葉をつぶやいています。

 

この試合前の言葉(ルーティン)は、

「この舞台に立てることに感謝して思いっきり楽しもう」

という、感謝の言葉です!

 

両膝の半月板を負傷して、
2度もの手術を経験した、奥原希望選手!

 

挫折しそうになった時、
多くの人達が支えてくれていることに気付きました。

 

その感謝の気持ちを
言葉にしてつぶやいているのだそう!

 

コートに一礼する姿も、
礼儀正しくて素敵ですよね!

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奥原希望選手のプレースタイル&強さのヒミツ!

身長156.3cmと小柄な奥原希望選手!

 

世界の強豪選手と混じると体格差は一目瞭然なのですが、
その強さのヒミツは何なのでしょうか?

 

奥原希望選手の武器は、
体の柔らかさ、柔軟性にあります!

 

普通なら届かないようなシャトルも、
体を伸ばして拾う事が出来ます。

 

そして、粘りながら、
長いラリーに持ち込み、
最後は相手の根負けを誘い込みます。

 

力では勝つ事が難しい、正確なショットの
打ち分けがカギとなります。

 

■ライン際へのショット
ライン際ギリギリへ、正確なショットを打ちます。

 

ドライブショット
相手のスマッシュを封じるために、
ネットスレスレ低い弾道のドライブショットを打ちます。

 

■ヘアピンショット
ネット際の攻防に威力を発揮します。
シャトルを出来るだけネットに沿って垂直に落とすショットです。
究極は、シャトルをネットにかすらせ、ポトリとしたに落とします。

 

 

特に、奥原希望選手の
“ヘアピンショット”は注目です!

 

正確なショットを放ち、前後左右に相手を揺さぶり決める!
それが、奥原希望選手の強さのヒミツです!

奥原希望選手の使用ラケット&ネックレスなど愛用品について!

奥原希望選手の使用ラケット
気になりますよね!

 

テレビ東京「ガイアの夜明け」でも取り上げられていましたが、
奥原希望選手の使用ラケットは『ミズノ製』♪

 

 

奥原希望選手使用の限定モデルは、
ミズノ「CALIBER REG(キャリバーレグ)」!!
(品番:73JTB62027)

 

 

 

バドミントンシューズもミズノ製ですね!

 

 

 

また、奥原希望選手がいつも身に着けている
ネックレス”も話題になっていますよね!

 

『クリオ インパルスネックレス(ゴールドフィルド)』ですね♪

 

『クリオ インパルスネックレス(ゴールドフィルド)』
サイズやカラーは、色々あります♪

 

 

 

 

奥原希望選手にとって、クリオ製品は、

“旅行をする時に歯磨き粉を用意するみたいに、
当たり前のように「一緒にある感じ」”

なのだそうで、ローション、シール、タオルなども、
必需品として使っているそうです♪

 

 

 

他にも、海外を転戦する奥原希望選手に欠かせないのが、
オーダーメイドの枕!

腰痛対策のマットレスも海外に持ち歩いているそうです。

 

こだわりのグッズ使用も、
奥原希望選手の強さのヒミツなんですね!

奥原希望選手の家族について!

奥原希望選手の実家のご家族についても調べてみました!

 

ご両親は、父親・圭永さんと、母親・秀子さんです。
ご兄弟は姉・未来さんと、兄・大生さんがいて、
奥原希望選手は3人兄弟の末っ子です。

 

 

父親・圭永(きよなが)さんは、
地元・長野県の高校の物理の先生

 

当時、長野県大町北高校の先生だった
父親・圭永さんがバドミントン部の副顧問になったのをキッカケに、
奥原希望選手は7歳の時に、姉、兄と一緒に
バドミントンを始めたといいます。

 

父親・圭永さんは、バドミントン競技の経験はありませんが、
仕事が終わった放課後、毎日練習に付き合いました。

 

 

母親・秀子さんは、
すべての試合をビデオ撮影したといいます。

 

そのビデオを繰り返し見て、
父親・圭永さんが試合を分析しました。

 

得点経過をすべて洗い出し、
弱点をデータ化、
奥原希望選手との練習メニューに反映しました。

 

 

しかし当時はまだ、奥原希望選手を
バドミントン選手にするつもりはなかったといいます。

 

 

小学6年の時のある日、
奥原希望選手の練習態度に激怒した父親・圭永さんが、
「反省を態度で示せ」と命じた事がありました。

 

家の玄関で、縄跳びの二重跳びを始めた奥原希望選手でしたが、
父親・圭永さんは知人からの電話に、
うっかり娘の事を忘れてしまったといいます。

 

しかし、50分近い電話を終えると、
なんと、縄跳びの音が耳に聞こえてきました。

 

 

驚いて玄関に行くと、息も絶え絶えなり、
はだしの足の裏の皮がむけた状態で二重跳びを続けている
奥原希望選手がいました。

 

 

奥原希望選手は、

「父に負けたくなかった。
自分が(バドミントンを)本気だということを証明したかった」

と、当時の事を語っていましたが、

 

父親・圭永さんは、

「度肝を抜かれ、見ているこっちが泣きそうになった」

と、語っていました。

 

この時から、父親・圭永さんは自分が好きなスキーも止め、
奥原希望選手の成長に全てを費やすと決めたと言います。

 

奥原希望選手の指導者探しも、
父親・圭永さんが奔走しました。

 

高校は地元の長野県を離れ、
埼玉県「大宮東高校」に進学しましたが、
父親・圭永さんは、ほぼ毎週末、
実家のある長野県大町市から埼玉まで車で行き、
会場への送迎などを手伝い、娘の成長を支えました。

 

「父をはじめ、家族には迷惑をかけてきたので、恩返しがしたい!」

奥原希望選手はオリンピックでの
メダル獲得を目標に掲げましたが、

 

父親・圭永さんは、

「五輪に出場できる喜びを感じて、自分のために戦ってくれれば、それで十分」

と、語っていました。

 

本当に素敵なお父さんですね!

 

 

また、興味深いエピソードとしては、
奥原希望選手と“ハチミツ”の関係性があります!

 

実は、祖父・訓さんが養蜂をしていて、
奥原希望選手も小学生のころから、
ハチミツ作りを手伝ってきたのだそう♪

 

“ハチミツがスタミナとスピードの源(みなもと)”
と語る奥原希望選手は、
リオ五輪にも、ハチミツを持参したといいます!

 


奥原家の自家製蜂蜜(はちみつ)
ぜひ、食べてみたいですね!

まとめ

バドミントン日本代表・奥原希望選手の
出身中学や高校などWiki風プロフィール、
学歴&経歴まとめ、プレースタイルや強さのヒミツ、
使用ラケット、愛用ネックレスなど色々とまとめてみました!

 

実家のご家族(父母・兄姉・祖父)との逸話や
試合前の感謝の言葉(ルーティン)
本当に素敵でしたね!

 

東京オリンピックはもちろん、
奥原希望選手の今後の活躍をぜひ応援していきたいと思います!

バドミントン
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