松友美佐紀(バドミントン)の経歴&家族!父母や姉は?タカマツペアの絆がスゴイ!

バドミントン日本代表・松友美佐紀(まつとも みさき)選手!

 

ダブルスペア・高橋礼華選手と共に
「タカマツ」コンビの愛称で有名な、
リオデジャネイロ五輪の金メダリストです!

 

とっても可愛いと話題ですよね!

 

松友美佐紀選手の出身中学や高校などWiki風プロフィール、
学歴&経歴まとめ、プレースタイル、
ペア・高橋礼華選手との世界一の絆について
まとめてみました!

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松友美佐紀さんのWiki風プロフィール!学歴&経歴まとめ!

松友美佐紀
出典:https://www.topics.or.jp/new/?p=1065

 

名前:松友美佐紀(まつとも みさき)
生年月日:1992年2月8日
年齢:24歳(※2016年現在)
出身:徳島県板野郡藍住町
身長:159.5cm
体重:51㎏
利き腕:右
趣味:iPadで動画視聴、ウィンドウショッピング
所属:日本ユニシス

 

バドミントン日本代表・
松友美佐紀(まつとも みさき)選手!

 

女子ダブルスのリオデジャネイロ五輪代表で、
ペア・高橋礼華(たかはし あやか)選手と共に
「タカマツ」コンビの愛称で有名ですよね!

元バドミントン経験者の母の影響で、
物心つく前からラケットを握っていたという、
松友美佐紀選手!

 

幼稚園児の5歳の時に、
地元のスポーツ少年団「藍住エンジェル」
バドミントン競技を始めます。

 

練習がとにかく大好きで、
誰よりも夢中になって、シャトルを追い掛けていたといいます。

 

小学校は、地元徳島県の「藍住町立藍住東小学校」

 

元々、運動神経が良かった松友美佐紀選手は、
他にも、水泳や器械体操を習っていましたが、
小学生になると、バドミントン一本に絞りました。

 

週4日の練習は、夜9時に及ぶほどハードで、
帰宅後疲れてすぐに寝てしまうほどでしたが、
一度もやめると弱音を吐いたことはないと言います。

 

 

飲み込みが早く、メキメキと上達した松友美佐紀選手は、
小学校4年生から6年生まで、学年別全国大会で優勝!

見事に3連覇を果たしました!

 

 

当時から、ネット際のプレーを得意としていて、
身長は小さく、小柄でしたが、
シャトルを打ちに行く時のスピード感がすごかったといいます。

 

中学は、公立の「徳島市立徳島中学校」に進学。

中学校進学の際には、
県外のバドミントン強豪校からも多くの誘いを受けましたが、
中学3年生の年に、“全国中学校体育大会”が徳島県で開催される
予定だった事から、県内の中学校を選びました。

 

「徳島市立徳島中学校」も全国中学校体育大会で
2001年から3年連続準優勝の強豪校です。

 

 

中学3年生の時には、
40日間の“中国合宿”に参加し、
中国選手のスピードとパワーにもまれ、
一回り成長を果たします。

 

帰国直後の全国中学校体育大会では、
団体戦と個人シングルスで2冠を達成しました!

 

 

高校は、実家の親元を離れ、
宮城県仙台市若林区にある
私立「聖ウルスラ学院英智高等学校」へ進学。

 

日本屈指の強豪校「聖ウルスラ学院英智高校」には、
1学年上となる、現在のペア・高橋礼華選手が通っていました。

 

中学時代まではシングルスで活躍していた2人でしたが、
当時の聖ウルスラ学院英智高校監督・田所光男さんの決断により、
ダブルスのペアを組むこととなります。

 

 

技巧派の松友美佐紀選手と、
強打が持ち味で攻撃的な高橋礼華選手は、
ダブルスを組むと、監督の狙い通り相性抜群!!

 

松友美佐紀選手が1年生の9月に行われた
全日本ジュニアで、2人はいきなりの3位入賞!

 

翌年3月の高校選抜大会では、
初優勝を飾ります!

 

松友美佐紀選手が2年生、
ペア・高橋礼華選手が卒業する年の全国高校総体でも、
見事に優勝を果たしました。

 

松友美佐紀選手はこの年、
ダブルス、シングルス、団体の3冠を達成しています。

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高校卒業後は、ペア・高橋礼華選手と同じ
「日本ユニシス」へ、2010年に入社。

 

2010年9月、全日本社会人大会で優勝。
2011年、全日本総合選手権でも優勝。

 

しかし、2012年のロンドン五輪選考では、
日本勢の4番手となり、出場は出来ませんでした

 

当時を振り返り、松友美佐紀選手は、

「ロンドン五輪は、あまりテレビで見ていない。
その場に立つ実力がまだなかった。
次のリオを目指して、自分たちが成長しなくちゃという気持ちが強かった」

と語っています。

 

練習を重ね、コンビネーションを強化した
「タカマツ」コンビ!

 

2012年、2013年と、
全日本社会人大会・全日本総合選手権
の両タイトルで優勝!

 

2014年12月には、年間成績上位8組しか出場できない
「BWFスーパーシリーズファイナルズ」で、
女子ダブルスで、日本勢初の優勝を達成!

 

日本人で初めて、
世界ランキング1位に輝きました。

 

 

高校時代までは、シングルスでも数々のタイトルを
獲得してきた松友美佐紀選手ですが、
社会人になってからは、ほぼダブルスでの活動。

 

 

男女混合ダブルスでは、
同じ日本ユニシス所属の早川賢一選手とペアを組んでいます。

 

最初は、シングルスへのこだわりもあり、
入社当初、日本ユニシスの監督に

「普段の練習以外に30分だけシングルスの練習をさせてください」

と直訴したこともあったと言います。

 

 

しかし、ダブルスでの実績を積み上げるうちに、
気持ちは変わり、“ダブルスを究めたい”
と思うようになりました。

 

 

2016年、全英オープン女子ダブルスでは、
日本勢で38年ぶりの優勝!

 

2016年、リオデジャネイロ五輪では、
女子ダブルスで日本代表に選ばれ、

「ずっと2人で、オリンピックで金メダルを取りたいという思いでやってきた。
簡単なことではないと思うけど、結果を出したい」

と語っていた松友美佐紀選手!

 

見事に金メダル獲得の快挙を成し遂げました!

 

東京五輪はもちろん、
松友美佐紀選手の今後の活躍にますます期待です!

松友美佐紀選手のプレースタイル&ペア・高橋礼華選手との絆について!

世界ランキング1位となった、
松友美佐紀選手とペア・高橋礼華選手の、
「タカマツ」コンビ!

 

「タカマツ」コンビの武器は、
絶妙のコンビネーション”です!

 

粘り強くラリーを重ね、
チャンスをうかがいます。

 

テクニシャンの松友美佐紀選手がネットプレーで相手を崩し、
パワーのあるペア・高橋礼華選手がスマッシュで決めます!

 

技と力、2人の個性を組み合わせた
“連続攻撃”で決めるのが、勝ちパターンです。

 

2人の”連続攻撃”を支えるのは、
言葉にしなくても通じ合える以心伝心の力!

 

それは、2人が長い歳月をかけて育んできたものです。

 

2人の出会いは、小学生時代!
松友美佐紀選手が小学校4年生、
ペア・高橋礼華選手が小学校5年生の時でした。

 

徳島県出身の松友美佐紀選手は、
小学校4年生から学年別全国大会3連覇。

 

一方、1学年上で、奈良県出身の高橋礼華選手も、
小学生時代は、学年別全国大会3連覇。

 

学年が違うため、公式戦での対戦はありませんでしたが、
一体どちらが強いのか、当時2人の監督が、
練習試合を組むことにしたといいます。

 

実現したシングル直接対決では、
1学年上の高橋礼華選手の圧勝!

 

しかし、この試合が、
2人のその後の人生を変えます!

 

松友美佐紀選手はボコボコにされたけれど、
すごく楽しかったそうで、
試合ができて嬉しかったといいます。

 

この試合をキッカケに、
松友美佐紀選手は、高橋礼華選手に文通を申し込み、
近況を報告したり、質問をしたりの2人の文通が始まりました。

 

急速に距離を縮めた2人。
松友美佐紀選手は高校進学するときも、
ペア・高橋礼華選手を追いかけて、
親元を離れ、同じ「聖ウルスラ学院英智高校」を選びました。

 

 

高校に進学後、
ペア・高橋礼華選手は腰を痛めてなかなか勝てなくなり、
小柄な松友美佐紀選手はパワー不足という課題を
それぞれ抱えていました。

 

当時の2人の監督・田所光男さんは、
2人にペアを組ませる決断をします。
テクニックに優れた松友美佐紀選手と、
攻撃的な高橋礼華選手を組ませれば、いいダブルスなる!
ダブルスならば、2人の異なる個性が生きる!
と考えたのです。

 

そして、ダブルスを組んだ2人は、
生まれ変わったように連勝街道を突き進み始めました!

 

2008年、ペア・高橋礼華選手が卒業する年の高校総体では、
高橋礼華選手が試合前に足首をねん挫し、
痛み止めを飲んで出場しましたが、

 

相手に狙われてしまった高橋礼華選手に
無理をさせたくないという一心で、
松友美佐紀選手は、絶対に負けたくないと
必死にシャトルを追いかけたといいます。

 

2人の絆は確実に強くなり、
見事に優勝を飾りました!

 

このころから、ダブルスでオリンピックに出場する
夢を描くようになったといいます。

 

 

高校卒業後も実業団でペアを組み続けた2人は、
金メダルを目指して、
以心伝心のコンビを磨いてきました。

 

打倒・中国の秘策にと、
新たなレシーブの練習も始めました。

 

後ろのラインギリギリに高く返す
“攻撃的レシーブ”です。

 

レシーブが甘くなって正面に返してしまうと、
簡単に決められてしまいます。

 

 

後ろの方のラインギリギリに高く返せば、
相手は後ろに反り返る為、
強く打てなくなってしまいます。

 

そこから、反撃を開始!

 

“攻撃的レシーブ”は、
得意の“連続攻撃”に持ち込む為の戦術です。

 

強打に負けず、高く後ろへ返すのは至難の技です。
少しでも手前に返すと、絶好球になってしまい、
簡単に決められてしまいます。

 

“攻撃的レシーブ”を身に着けるため、
繰り返し繰り返し打ち続け、体に染み込ませました。

 

 

数年でコンビを解消するペアが多い中、
高校時代から続く異例の長さの
世界一の絆を誇る「タカマツ」コンビ!

 

多くの試練を乗り越え、長い歳月を共に歩んできた、
黄金ペアの活躍に今後も注目大ですね!

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松友美佐紀選手の家族!父親・母親・姉について!

松友美佐紀選手の実家のご家族についても、
調べてみました!

 

ご両親は、父親・伸二さんと、
母親・千恵美さん、ご兄弟は2歳上の姉・仁美さんです。

 

 

父親・伸二さんは、元球児で、
社会人でも草野球をしていました。

 

「バドミントンと動きが似ている」

と、野球からヒントを得た練習を
松友美佐紀選手に課したといいます。

 

スマッシュ強化のため、
シャドーピッチングのように、
タオルを肩口から振り下ろしたりもしたそうです。

 

母親・千恵美さんは、
元バドミントン経験者です。

 

松友美佐紀選手がバドミントンを始めたのは、
母親・千恵美さんの影響からで、
幼少期はよく一緒にラリーをしていたそうです。

 

 

中学卒業後は実家のある徳島を離れ、
宮城県仙台市にある全国屈指の強豪校
「聖ウルスラ学園英智高校」に進学した松友美佐紀選手。

 

リオデジャネイロ五輪日本代表を決めた娘の姿に、

「(親元を離れたのは)寂しかったけど、本人が決めたことだから。
けがをして苦しい時期もあった。よくここまで来られたと思います」

と、母親・千恵美さんは語っていました。

 

 

2歳上の姉・仁美さんも、
バドミントン選手で、
子供の頃は、松友美佐紀選手と一緒に
練習に通っていました。

 

松友美佐紀選手が幼少の頃から
運動神経バツグンなのも納得の
スポーツ一家ですね!

まとめ

バドミントン日本代表・松友美佐紀選手の
出身中学や高校などWiki風プロフィール、
学歴&経歴まとめ、プレースタイル、
ダブルスペア・高橋礼華選手との世界一の絆について
まとめてみました!

 

「タカマツ」コンビの愛称で有名な、
とっても可愛い選手ですよね!

 

「タカマツ」コンビ、
そして、松友美佐紀選手の今後の活躍に、
ますます期待していきたいと思います!

 

 

ペア・高橋礼華選手の記事はこちらにまとめました♪(↓)
https://jinsei-navi.com/942.html

バドミントン
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